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  • Engelbert Humperdinck

    Engelbert Humperdinck

    Engelbert Humperdinck

    エンゲルベルト・フンパーディンクは決して歌手になりたいわけではなかった。確かに音楽のキャリアを積みたいと思っていたが、彼はあまりに恥ずかしがり屋な性格だった。イギリス・レスター出身で10人兄弟の末っ子だった彼は、父親が第二次世界大戦で駐在を命ぜられたインド・マドラスで育った。彼の幼少期は両親、兄や姉の愛に溢れたものだった。幼少時代から歌を上手く歌える自覚はあり、さらに彼の声の力強さは周囲の人を驚かせるものだった。「とにかく大きな声が出たんだ。同時に、優しく歌うこともできるんだと発見したんだ。」

    なる全てのスターがそうであるように、彼もまた深みを持った人柄なのだ。男性的で、愛情深く、内気だけどステージ上では遠慮なく、徹底的にセックス・ゴッドを演じる程までに達観しているのだ。「母親側の血筋から歌唱能力を引き継いたんだと思う。父親は男性的な男性だったよ。強くて運動神経が発達し、カリスマ的だった。だから自分もあらゆる男性的な事が好きだよ、ゴルフ、テニス、格闘技、サッカー、スキー、そして、はい、女性にもとても魅力を感じます。」

    50年ほど続くキャリアの中で、エンゲルベルトは、1億4千万枚以上ものレコードセールスを記録、ゴールド・アルバムは64枚、プラチナ・アルバムは23枚、グラミー賞も4回ノミネート、ゴールデン・グローブ賞、そしてハリウッドとラスベガスそれぞれのウォーク・オブ・フェームも獲得している。イギリス女王陛下の前で4回もパフォーマンスしている。彼はその独特な声で、ロマンチックなバラードから映画のテーマ音楽、ディスコ、ロック、更にはゴスペルに至るまで幅広いジャンルの曲をレコーディングし、世界各国の何百万人ものファンを獲得してきた。また彼はその声だけではなく、親しみのあるユーモアのセンスや、自嘲的なジョークといった彼自身から湧き出る魅力で多くの人々を惹きつけてきたのだ。さらに彼はMTVに何度か出演することによって、新たな若年世代を惹きつけるのにも成功している。

    エンゲルベルトの本名は、アーノルド・ジョージ・ドーシー。11歳にして音楽の勉強をスタートした。サックスを演奏し始め、17歳になると、歌のコンテストを主催するパブのステージに出演していた。友達に押し切られコンテストに出場した時、彼はサックスで演奏するのではなく、初めて声の才能を発揮したのだった。アーノルド・ジョージ・ドーシーは、コメディアンのジェリー・ルイスのモノマネを見事に披露し、ファンの間では早速、ジェリー・ドーシーとあだ名を付けられる事になり、それがそのままプロとしてのステージ名となったのだった。

    ジェリー・ドーシーはイギリス音楽業界内ではかなり有名人となり、1959年には「グレイジーベルズ/ミスター・ミュージック・マン」というシングルをデッカ・レコードよりリリースした。しかしその後結核に感染し、6ヶ月間に亘る療養生活をせざるを得ない状況となり、せっかく登り調子だったキャリアを終わらせる危機にさらされたのだった。その後幸いにも健康を取り戻したジェリー・ドーシーは、復帰後はそれまでのイメージを捨て、より強くダイナミックなパフォーマーとして印象付けるのが成功に欠かせないと判っていた。そこで、その当時のマネージャーが新たに提案したのが、『エンゲルベルト・フンパーディンク』だったのだ。それは、ヘンゼルとグレーテルを作曲したオーストリアの作曲家から取った名前だった。その名前は印象に残るという以上のインパクトを与えた。そしてその名前は後に伝説となっていく事になる。エンゲルベルトはザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズといった1960年代の中で音楽シーンに爆発的に出現したのだった。彼の人気は一過性のものではなく、1960年代を通じて内気なハンサム・ボーイは一躍世界の音楽シーンのアイコンとなっていったのだった。彼はエルビス・プレスリーともとても仲の良い友達となり、二人の伝説的スターはお互いの曲を歌ったりした。チャート入りしたエンゲルベルトの初めてのシングルは、「リリース・ミー」で、イギリス・チャートで56週間連続チャートインのギネス記録となり、そして世界11ヶ国でチャート1位を獲得した。

    その後のエンゲルベルトは「リリース・ミー」の他にも「ラスト・ワルツ」、「愛の花咲くとき」、「太陽は燃えている」などの世界的な大ヒットを放ちながら、多くの時間を世界ツアーに費やしてきた。エンゲルベルトの音楽は時間を超え、彼の歌声はいまだに人々に届いている。人々の心の奥底の感情や心情を優しく抱擁したり呼び起こしながら・・・間違いなく、それらは彼の永遠の続く成功の秘訣である。

  • Hawaiʻi Symphony Orchestra

    Hawaiʻi Symphony Orchestra

    Hawaiʻi Symphony Orchestra

    ホノルル交響楽団から名称変更したハワイ交響楽団は、1900年に設立されたアメリカ合衆国で2番目に古いオーケストラ。楽団の使命は、最高の音楽を高いクオリティで提供すること。そして、ハワイコミュニティという地元に根ざした国際色豊かな存在感をもたらすこと。クラシックからコンテンポラリー、ポップスまで幅広いジャンルで人々に豊かな時間を届けます。

  • 森山良子

    森山良子

    森山良子

    1967年「この広い野原いっぱい」でデビュー。その後、ミリオンセラー「禁じられた 恋」をはじめ「涙そうそう」、「さとうきび畑」、「あなたが好きで」など、数々のヒ ット曲を生み出す。透明感のある歌声と歌唱力で、名実ともに日本のトップシンガーに。1998年、長野冬季オリンピック開会式式典にて、テーマソング「明日こそ、子供たち が…」を歌い、その模様が世界中に放映される。

    2002年、第44回日本レコード大賞において最優秀歌唱賞、金賞(「さとうきび畑 」)、作詩賞(「涙そうそう」)を受賞し3冠を達成。

    2016年にはデビュー50周年を迎え、全国で100本を超えるコンサートを行う等、 精力的に活躍中 歌手活動以外でも、ニッポン放送(全国ネット)「オールナイトニッポン MUSIC10」に て月曜日のレギュラーパーソナリティーを務め4年目を迎える。昨年9月に待望のクラシックアルバム第二弾「Ryoko ClassicsⅡ」をリリース♪ 現在全国ツアー「Prime Songs」コンサートを開催中。 

  • 五嶋龍

    五嶋龍

    五嶋龍

    7歳でパシフィック・ミュージック・フェスティバルにて、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏し楽壇デビュー。幼い頃から「五嶋龍のオデッセイ」はじめ多くのメディアで取り上げられ、JR東日本のイメージボーイや「題名のない音楽会」の司会などで注目を集める。今日その活動は世界屈指の芸術家たちとの演奏活動にとどまらず、現在の演奏家の使命である社会福祉として、『五嶋龍 “Excellence In Music”(音楽優秀賞)』 を通じて公立高校生に奨学金を授与する活動に加え、教育・国際文化交流・社会貢献活動をグローバルに展開し、現地の人々・子供たちに夢を与え続けている。また2017年後半には日本各地の学生オーケストラとの共演、リサイタルでproject R“拉致被害者を忘れない。”の啓発、チャリティー・コンサートを企画・出演し、社会への発信力・求心力を発揮している。

    今シーズンのハイライトとしては、2019年12月にワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の日本ツアーのソリストを務める。

    録音はドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、ユニバーサルクラシックスよりリリース。使用楽器は日本音楽財団より貸与された1722 年製のストラディヴァリウス「ジュピター」。ハーバード大学(物理学専攻)卒業。公益社団法人日本空手協会参段。日英仏中語が堪能。ニューヨーク生まれ・在住。

  • University of Hawaiʻi Symphony Orchestra

    University of Hawaiʻi Symphony Orchestra

    University of Hawaiʻi Symphony Orchestra

    ハワイ大学交響楽団は、UHマノアのキャンパスのすべての専攻の学生に究極な楽体験を提供する。 約70人以上のインストゥルメンタリストのメンバーが集まるUHSOは、ユタ州オグデンのウェーバー州立大学や米国海兵隊のメンバーとのコラボレーションを含め、毎年さまざまなコンサートを行なう。 オーケストラは、ハワイの歴史的な場所であるニールブレイズデルセンターやマッキンリースクールオーディトリアムなど、ホノルル中のコンサート会場で定期的に演奏。UHSOは、ジョセフステペック監督が率いる。

  • The Hawaiʻi Chamber Music Festival

    The Hawaiʻi Chamber Music Festival

    The Hawaiʻi Chamber Music Festival

    美しい音楽をこの世に生み出すために、才能豊かな学生と世界レベルのアーティストをつなぐ活動をしているハワイチェンバーミュージックフェスティバル。卓越した音楽性とインスピレーションによって、アロハ精神という文化的存在の表現に挑戦しています。

    音楽は、私たちハワイアンにとって重要な存在の1つである、という考えの元、Hawaiʻi Chamber Music Festival(HCMF)は2018年に設立されました。才能のある学生と世界クラスのアーティストをコラボレーションさせることで、素晴らしい時間と新しい関係を構築しています。こうした活動を通して、ハワイにいる素晴らしい若きミュージシャンの精神性と音楽的才能を育むことにHCMFは専念しています。また、地元の「オハナ」とのパートナーシップにより、ミュージシャンたちがハワイの島々で活気に溢れるアロハ精神に触れる機会をつくり、さらなる音楽コミュニティへ良い影響を与える活動にも力をいれて取り組んでいます。

  • Eden Kai

    Eden Kai

    Eden Kai

    18歳の高校生・ギター & ウクレレの演奏、シンガーソングライター、作曲、俳優。 【EDEN KAI】「テラスハウス アロハステート」出演で話題のギタリスト/ウクレレ奏者=EDEN KAI、6/21日本デビュー & FUJI ROCK 2017出演が決定。

    1998年日本生まれ、ハワイ州ホノルル在住。三ヶ国語が飛び交う環境で育ち: 日本語、英語、中国語が堪能。 3歳頃からリトミッククラス、5歳から劇団に入り、演技やダンスを習い、子役でTV番組、CM等に出演。 8歳頃からESPミュージカルアカデミー(東京) に入り、ダンス、ボーカル、ステージ・パフォーマンス等を習い初め、11歳頃 初めてのオリジナル曲「世界の友達」 をチヤリテイ・ソングとしてデビュー。 13歳頃からギターを習い始め、14歳の時(2013年)ハワイの高校に入り、16歳の時 2015年4月ハワイの各高校の代表が出場するタレント・ショー「ブラウン・バックス・スターダム2015」大会で優勝。界の著名アーティストであるブルーノ・マースさん、ジェイク島袋さんや伊藤由奈さんなどが受賞してきた有名なタレント発掘ショーの2015年チャンピオンを16歳で受賞。同年 ギター・ソロ・デビュー・アルバム“Touch the Sky”をリリース。 “Touch the Sky”は、39th Na Hoku Hanohano Awards 2016 の「 Instrumental Album of the Year」の最終選考の作品となった。 “Touch the Sky”は、第2回 2016ハワイ・ミュージック・アワード・ジャパン の「2016日本ハワイアン・アルバム特別賞」2016 Hawaiʻi Music Awards Japan – Special Recognition Award。

  • 杉山清貴

    杉山清貴

    杉山清貴

    1983年4月 杉山清貴&オメガトライブとして「SUMMER SUSPICION」でデビュ ー。1986年5月「さよならのオーシャン」でソロデビュー。ギター一本での弾き語りアコ ースティックLIVEからフルバンド形式の大規模ホールでのコンサートツアー、数々のユ ニットによるライブハウスへの出演など幅広い演奏活動を年間通じて展開している。 2016年ソロデビュー30周年記念アルバム「OCEAN」、2017年「Driving Music」をリリー ス。2018年にはデビュー35周年を迎え、オリジナル・アルバム「MY SONG MY SOUL」 をリリースし、5月には杉山清貴&オメガトライブが最集結。2019年2月より杉山清貴&オ メガトライブとして全国ツアーも実施した。 

    2016 ソロデビュー30周年を迎え、記念アルバム『OCEAN』リリース

    2017 オリジナル・アルバム『Driving Music』リリース

    2018 オリジナル・アルバム『MY SONG MY SOUL』リリース

    2018 デビュー35周年を記念して杉山清貴&オメガトライブが再集結

    2019 2〜4月には杉山清貴&オメガトライブとして全国12ヶ所13公演のツアーを実施